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天使の声・・・・

人生を変える言葉のパワー「言霊力」 高田 明和
わたしに呼びかける40の言葉・・・29 小さなことでも心を込めれば、大きな運の変化を呼ぶ


小さなことというか、そのことに対してのベストを尽くすと最善はやってくると思います。
経験上・・・・


南三陸町防災対策庁舎で
3月11日
最後の最後まで、自らの命を顧ず、防災無線で住民に避難を呼びかけていた遠藤未希さん。24歳。
そして、ぷっつりと切れたアナウンス
遠藤さんは4月末に足についたミサンガが決め手で発見されました。
その遠藤さんのアナウンスが
つないだ南三陸の命は1万人といわれています。
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私も
南三陸防災庁舎を訪れ、手を合わせてきました。

その遠藤さんが
埼玉の教科書に載るそうです。
今日のニュースです。

ネットニュースにもなってました。↓

■津波から町民救った「天使の声」

 宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった町職員の遠藤未希さん=当時(24)=が埼玉県の公立学校で4月から使われる道徳の教材に載ることが26日、分かった。

埼玉県教育局によると、教材は東日本大震災を受けて同県が独自に作成。公立の小中高約1250校で使われる。

 「天使の声」というタイトルで、遠藤さんが防災無線を通じて住民に避難するよう必死に叫び続ける様子などを紹介。同教育局生徒指導課の浅見哲也指導主事は「遠藤さんの使命感や責任感には素晴らしいものがある。人への思いやりや社会へ貢献する心を伝えたい」としている。

 津波到達直前まで放送を続けた遠藤さんは津波に流され行方不明となり、4月になって同町の沖合で遺体が発見された。遠藤さんは平成22年7月に結婚、咋年9月の披露宴に向け準備を進めているところだった。

 遠藤さんの行動は、咋年9月の野田佳彦首相の所信表明演説でも、「彼女たちが示した公に尽くす覚悟に、日本人として生きていく誇りと明日への希望が見いだせる」などと紹介された。

 遠藤さんの父、清喜さん(57)は「娘が生きた証しになる」と話し、母、美恵子さん(53)は「娘は自分より人のことを考える子だった。子供たちにも思いやりの心や命の大切さが伝わればいい」と涙を流した。

                   ◇

 ≪遠藤未希を紹介した教材の要旨≫

 ◆天使の声

 誰にも気さくに接し、職場の仲間からは「未希さん」と慕われていた遠藤未希さん。その名には、未来に希望をもって生きてほしいと親の願いが込められていた。

 未希さんは、地元で就職を望む両親の思いをくみ、4年前に今の職場に就いた。(昨年)9月には結婚式を挙げる予定であった。

 突然、ドドーンという地響きとともに庁舎の天井が右に左に大きく揺れ始め、棚の書類が一斉に落ちた。

 「地震だ!」

 誰もが飛ばされまいと必死に机にしがみついた。かつて誰も経験したことのない強い揺れであった。未希さんは、「すぐ放送を」と思った。

 はやる気持ちを抑え、未希さんは2階にある放送室に駆け込んだ。防災対策庁舎の危機管理課で防災無線を担当していた。

 「大津波警報が発令されました。町民の皆さんは早く、早く高台に避難してください」。未希さんは、同僚の三浦さんと交代しながら祈る思いで放送をし続けた。

 地震が発生して20分、すでに屋上には30人ほどの職員が上がっていた。すると突然かん高い声がした。

 「潮が引き始めたぞぉー」

 午後3時15分、屋上から「津波が来たぞぉー」という叫び声が聞こえた。未希さんは両手でマイクを握りしめて立ち上がった。そして、必死の思いで言い続けた。「大きい津波がきています。早く、早く、早く高台に逃げてください。早く高台に逃げてください」。重なり合う2人の声が絶叫の声と変わっていた。

 津波はみるみるうちに黒くその姿を変え、グウォーンと不気味な音を立てながら、すさまじい勢いで防潮水門を軽々超えてきた。容赦なく町をのみ込んでいく。信じられない光景であった。

 未希さんをはじめ、職員は一斉に席を立ち、屋上に続く外階段を駆け上がった。その時、「きたぞぉー、絶対に手を離すな」という野太い声が聞こえてきた。津波は、庁舎の屋上をも一気に襲いかかってきた。それは一瞬の出来事であった。

 「おーい、大丈夫かぁー」「あぁー、あー…」。力のない声が聞こえた。30人ほどいた職員の数は、わずか10人であった。しかしそこに未希さんの姿は消えていた。

 それを伝え知った母親の美恵子さんは、いつ娘が帰ってきてもいいようにと未希さんの部屋を片づけ、待ち続けていた。未希さんの遺体が見つかったのは、それから43日目の4月23日のことであった。

 町民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いをした。

 5月4日、しめやかに葬儀が行われた。会場に駆けつけた町民は口々に「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた。あの放送がなければ今ごろは自分は生きていなかっただろう」と、涙を流しながら写真に手を合わせた。

 変わり果てた娘を前に両親は、無念さを押し殺しながら「生きていてほしかった。本当にご苦労様。ありがとう」とつぶやいた。

 出棺の時、雨も降っていないのに、西の空にひとすじの虹が出た。未希さんの声は「天使の声」として町民の心に深く刻まれている。
by noripipi2000 | 2012-01-26 23:02 | Comments(0)