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微力ですが

今日は
戦場カメラマン渡部陽一さんの講演会に行ってきました。
それは
気持ちと頭を整理して
ゆっくりアップしようと思います。

今日
杉良太郎さんの妻、伍代夏子さんがテレビで話していました。
被災地にボランティアに行っても
一家族も救えない。
行っても帰りはため息ばかりが出てしまう。

行ってもそう思うんだ・・・・・・

仮設住宅に備えられたテレビ・冷蔵庫・洗濯機・・・
全部支援物質らしい。

避難所に貼ってある応援メッセージ一杯のポスター

みんなのパワーは
絶対に
届いているし
未来につながっていくはず。
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by noripipi2000 | 2011-05-31 22:57

台風の非常に大きい風

我が家の畑の
大きくなってきた
とうもろこし
スイカ

かなり折れてしまいました。

農家のビニールハウスも吹っ飛んでました。

自然の力には
手も足も出ませんが・・・

でも
また
やりましょう!


考えて

また
行動していきましょう。

知恵を出し合っていきましょう。
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by noripipi2000 | 2011-05-30 22:30

晴れも雨も

台風で
大荒れの週末


久々
家族で
過ごした日曜日

晴れの日もあれば
雨の日もあって

それは
人間の心も一緒
だけど
そんな日があるということを
知リ続けることも
実は
難しいのかも

良い時ばっかりじゃないけど
気づくために
一瞬
一瞬は
ある

凄いなあ・・・・
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by noripipi2000 | 2011-05-29 22:19

音楽から気づく

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アンサンブルの
代弾きを頼まれた

実は
アンサンブルは
経験が無い

1回限りの
練習の代弾きなのに
なんともいえない緊張感

練習に行って
メンバーの顔ぶれを見たら
また
緊張・・・・

本当に良いのかな?私で・・・・

でも
この世には
必要なことしか
起こらないというので
良いんだろう・・・・

バイオリン・ビオラ・チェロ・クラリネット・ファゴット・ホルン各1本ずつ
そして私のコントラバス

自分の音がよく分かった

それぞれが
お互いを
感じながら
調和して
出来上がる音

お互いを
聴きあって
できる音楽

そして
時代をタイムスリップして
作曲者自身を感じる

音楽だけでなく
みんなが
お互いを
尊敬しあえれば
きっと
素晴らしい世の中になるんだろうな

そう思いながら
弾かせていただきました

素敵な
世の中になりますように・・・・・
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by noripipi2000 | 2011-05-28 23:00

今何をする?

言った
言わない

菅下ろしを前提とした
毎日の国会

テレビで
国民のアンケートを紹介していた

今すぐに
菅さんを下ろすことを
望む国民は少なかった

政治家が
そうしたいだけじゃないかしら・・・

じゃあ
誰が総理になればよいの?
また
いろいろ
言われて
また交代・・・・

だから
日本の総理大臣は
回転ドアみたい変わると言われるんだ。

私も
この時期に
電波を利用して首相下ろしの議論なんて
よくできるものだと
思ってしまう。

犬猿の仲と
見えていた(見えるようにしていた?)
小沢さんと渡部さんが
突然
たまたま同じ日の誕生会を
一緒に始めて
渡部さんは
葬式の友人挨拶は
小沢さんにしてもらうと言い出した。

一体なんでしょ?

まだ
食料が不足している被災地が
あるのになあ・・・・

議員の皆さん、他にやることあるでしょう。

首相にケチつけてる間に
被災地に行って
避難所で
何日でも
暮らしてみたらいい。

被災者の気持ち
国民の気持ちを
考えたら
ケチの付け合いしないで
実際
前向きに行動して欲しいなあ。

日本の未来のため

行動してほしい。
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by noripipi2000 | 2011-05-27 22:10

被災者の日記から・・・

チリ地震を経験した方々が
今回の津波は比較にならないと
口を揃えて言うくらい
今回の津波は想定外の威力でした。

今アメリカで発生し続けてる巨大竜巻も
シンクロしてしまいます。

どうか、おさまって欲しい・・・・・

下野新聞 5月24日4面にも掲載されていましたが
大船渡東高等学校 工藤 幸男先生が
避難所での19日間をつづった日記・・・
考えました・・・・・・・

ネットで記事がありました。こちらです。

記事の貼り付けができたので下に貼り付けました       


 【工藤幸男さんの日記要旨】

 避難所での19日間をつづった工藤幸男さんの日記の要旨は次の通り。

       
3月

11日 永久に揺れ続けるかと思った。車で帰ろうとしたが、もう渋滞。学校に戻り、避難。通勤かばんを枕にして横になる。胸騒ぎしきり。

12日 高田第一中学校に着き、体育館に入る。妻、次男がいない。三男が上の階にいると告げられる。2人がだめかもしれないと話す。

13日 車で捜して回る。帰ってきて三男に手でばってんの合図。必死でこらえている。「引っ越さないか」と聞くと「みんなと高田高校に行きたい」と言う。そうか、そんならここで頑張るか。でもどうやって?

14日 昼食後、長男と義父母やってくる。夕食は菓子パン2つ。

15日 避難所に来てトイレの歴史が一気に50年逆戻りした。穴に渡した2枚の板の上でする。

16日 妻の安否を聞かれる。人の顔をよく見てくれ。これが、無事なのが分かってほっとしている顔かよ。

17日 避難所で欲しくなるものは歯ブラシ。歯ブラシ1本でこうも気分が変わるのか。時折、どうしても涙ぐんでしまう。2人の死が判明したら大泣きするだろう。

18日 家の跡を見てきた。何もない。(遺体安置所の)体育館の床に並べられている遺体については、書けない。直接自分で見て、こういうものだと心に留めるべきだ。一言だけ書けば、死ぬ間際の表情のままである。

19日 巡回した保健師さんに血圧を測ってもらう。180~100。

20日 インフルエンザ患者が2人。若いふりして外でボランティア活動をするのは控えよう。休むのも生きるためだ。

21日 新聞に次男の大学が載っていた。600人が所在不明という。次男もその中にいる。

22日 県立高校の合格発表の日。夜、三男が「(高田高校に)合格だって」と帰ってきた。握手しようとしたら、こぶしを出したので、それを手で包み込んで“握手”。

23日 午後、江刺(の親族宅)へ。夕食までゆっくり布団で休んだ。温かい夕食。本当に生き残って、良かった。

24日 千葉の叔父から、全国紙に2人の死亡記事が載っているというファクスが入る。下矢作小学校へ。名簿を見る。次男が矢作中学校。妻は別の人のようだ。矢作中学校へ。2体が棺に納められていた。一つが次男だった。やはり助からなかった。そして、よく早く見つかってくれた。顔を確認した。きつく口を結んでいる。血が一直線に固まっている。苦しくて舌をかんだのだろうか。ごめんな、何にもしてやれなかった。

25日 火葬許可証の発行。書類を作ってくれる職員も涙ぐみながらの作業。奥州市でできるといわれた。

26日 型通りの手順で次男は焼かれた。生き続けたら、どんな人間になっていったろう。静かな曲を丁寧に弾くピアノの腕も捨てがたかった。

27日 妻はこの2カ月、しつこいくらい私の体に触りたがった。2人だけになると、私の服の下に手を入れてきて「ぬぐい、ぬぐい」とニヤニヤする。こんな形での突然の別れを予感していたのだろうか。

28日 これだけの試練を連日加えられると、一人では抱えきれず、くずおれそう(原文のまま)になる。

29日 これからのことは、生きてみなければ何も分からない。無理して明るく前向きな気持ちで(避難所を)出て行こうとは思うまい。それにしてもよく書いた。ボールペンを動かしているときだけでも、つらさを忘れていられると思いたい。

30日 5時起床。毛布を本部へ返却。皆さんにあいさつ。19日間、本当にお世話になりました。


本人しか
本当の気持ちは分からないのは当然ですが
3月16日の日記・・・・
ああ・・・・

でも
東北の復興・未来・・・祈リ続けたいと思います。
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by noripipi2000 | 2011-05-27 16:21

実をつけたよ

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去年末
近所に引っ越してきたMちゃんに
新築祝いでプレゼントした
寄植えに
幸せになれるという
ワイルドストロベリーを入れてもらいました。


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今日
実をつけたそうです。
酸っぱいけど
育ってくれたんだね~

小さな実ですが
大きな希望を感じました。

生きるために
生きているということでしょうか・・・・
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by noripipi2000 | 2011-05-26 17:04

何もできない・・・・・

本来は松島基地から
自衛隊の救助ヘリが出るはずでした。

地震で
派遣要請にすぐ対応できるよう、車両を出動態勢に
整えたところに
隊員から
「大津波が来た!上へ上がれ!」と

救助のヘリも
津波に飲まれました。

その時の悔しさを
松島基地の隊員の方が涙ながらに語っていました。
こちらです。救助活動を主に活動していた
松島基地

何もできない悔しさ・・・・

救助ヘリが地震の時に1機でも飛んでいれば・・・・

災害出動要請を待っていた自衛隊

要請がないと
動けないのも
辛いです・・・・・・

縦社会の日本

それはそれで良いと思いますが
時には
人命第一に
臨機応変に対応できるよう
縦社会の中で
そういう法律を作って欲しい・・・・・・

出動要請を待つずらりと並んだ
災害派遣の車両が
津波に飲まれる
隊員の方々の
気持ち・・・・・・

原発が水素爆発したときに
アメリカが
ヨウド剤を送りますかと言ったのに
日本は
「薬事法の関係」とかで断ったらしい・・・・・・

もっと
柔軟にならなきゃ・・・・・・・・・
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by noripipi2000 | 2011-05-24 23:02

忘れずに

震災の日
多分ゆりかもめだと思いますが
地震で止まって
その後
歩いて線路を点検し
その車掌さん?が
乗客に「歩いて次の駅まで移動します」と
話している様子を昨日テレビで流してましたが・・・・

外国メディアがびっくりしていたように
誰一人と
わめきも、怒りもせず
「大丈夫ですよ。歩きましょう。」そんな表情で
みんな高い場所にある線路に出てきていて
その冷静に見える行動に
私もびっくりしました。

線路で余震が起きても
線路の壁にしがみついて
落ち着いて身の安全を各自が守る様子

やはり日本人の本質なのでしょうか。

その中で
若い男の人が
「阪神淡路大震災の時みたいにここが折れるかと思った。生きて帰りたい」と
泣きながら抱えられて歩いていて
経験した人だからこその
本心からの叫び

語り継がなければ・・・・・
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by noripipi2000 | 2011-05-23 23:05

大キリンとは
中国の三一重工社の
ポンプの長さが62メートルというポンプ車。

原発事故の後、放水のため
無償提供されました。
8000万円。

企業とは
つねに
自分の会社が
世のため
他人のために
何ができるか
考え
行動するものなのだと
思います。

すかいらーくも
避難所生活者がゼロになるまで
炊き出しを続けるそうです。
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by noripipi2000 | 2011-05-22 22:56